「悪霊」としてのトランプ現象【仲正昌樹】
日本のトランプ信者に典型的に見られるように、SNS上で形成されるカスケード集団に属する人は、自分が目にする“情報”を世界の全てと思い込みやすい。実際には、自分が影響を受けている“仲間”のtweetにイイネし、“敵”のtweetをdisっているだけなのだが、それで世の中が分かったつもりになる。“敵”のtweetに詳しい情報を伝えるリンクが貼られていても端的に無視するか、それを否定する“味方”のtweetを確認することで、価値のない情報と決め付ける。トランプ支持者のtweetだけをフォローし、それ以外のネットやマスコミの情報を完全に排除すれば、アメリカ国民の圧倒的多数がトランプ大統領を支持していて、その事実をマスコミと“リベラルな知識人”が必死で隠蔽しているように思えてきたとしても不思議はない。
リアルな社会で、自分と異なった立場の人と遭遇すると、相手のリアクションから自分がヘンなことを言っているかもしれない、と気付くこともある。現在のようにコロナ禍のため、リアルな人と人の接触が極端に少ないと、自分の考えが普通の人の常識とどれくらいズレているか体験する機会はない。
自分のtweetが多くの人にRTされ、ヤフコメでイイネをもらうと、自分が多数派であるかのように勘違いしがちである。リアルな社会でたびたび集会や学習会を開くと、本当の“味方”は大して多くないことに気付くことができるが、ネットの中だけで盛り上がっていると、勘違いが修正されることはない。トランプ大統領の呼びかけで、議事堂に突入した人たちは、警官隊に排除されるまで、十分な勝算がある、革命は可能だと思い込んでいたのかもしれない。ネットに現れた“アメリカの真の民意”を代表する自分たちが間違っているはずはないのである。
一九世紀のフランスの法律家トクヴィル(一八〇五-五九)は、アメリカの政治・法制度をつぶさに観察した『アメリカのデモクラシー』で、封建制のしがらみのないアメリカに草の根民主主義が根付いており、国民が様々なレベルの自治に積極的に参加する姿勢を示していることを賞賛していた。しかし、その一方で、彼らが民主主義を過信し、民主的決定が間違うはずがないと信じていることに対する懸念も表明している。「多数派の専制 tyranny of majority」が生じる危険である。